森鷗外の研究中だよ~

はじめに

どうも。森鷗外のへっぽこ研究者です。ほんとの専門家がここにいたら温かい目で見守ってほしい……!今感じていることを書き留めておくよ。文字にするとすっきりする性質なんだ。

 

今は渋江抽斎伊沢蘭軒を読んでるよ。鷗外の晩年の史伝と呼ばれるやつだよ。でも本人は随筆の中で「伝記書いてるなう(^^)」とか言ってるよ。どっちなんだ。あと、あんまり有名(ほぼ無名……)でない人のお話を書きだしたもんで(しかも新聞で連載)当時はいろいろ言われたらしいよ。

でも蘭軒のラストでそれに対して意見をしていたよ。鷗外は今でいうレスバが好きなタイプなんだ。有名なのは坪内逍遥とのバトルと、舞姫の結末に対するものだよ。(石橋忍月とのもの。鷗外は『僕も豊太郎はあんま正しくないと思うよ』みたいなことを返したよ)

で、今回は蘭軒を読んだ感想とかを書くよ。

 

伊沢蘭軒

実はさらーっと読んじゃったからもっかい読み直したい。でも正直きつい。なぜなら……

 

頼山陽は寛政十二年十一月三日に、安藝国広島国泰寺裏門前杉木小路すぎのきこうぢの父春水の屋敷で、囲の中に入れられ、享和三年十二月六日まで屏禁せられて居り、文化二年五月九日に至つて、「門外も為仕度段つかまつらせたきだん、存寄之通可被仕候つかまつらるべくそろ」と云ふ浅野安藝守重晟しげあきらが月番の達しに依つてゆるされた。山陽が二十一歳から二十六歳に至る間の事である。疇昔ちうせきより山陽の伝を作るものは、皆此幽屏の前後に亘る情実を知るにくるしんだ。森田思軒も亦明治二十六七年の交「頼山陽及其時代」を草した時、同一の難関に出逢つたのである。

青空文庫より)

 

最初からコレだからだよ!最初から注釈だらけだ!もし今から読む人がいるなら、青空文庫でなく全集をおすすめするよ。注釈がないと読むのも一苦労だよ!本屋さんにはほとんどないけど……。

 

でも実は伊沢蘭軒という人の物語だけがメインじゃない。鷗外が「蘭軒ってどういう人だろう?」と思って調査を始めるパートと、蘭軒やその周りの人への評価だったり、自分の考えを書いたりしているんだ。

 

わたくしはかう云ふ態度に出づるより外無いと思ふ。先づ根本材料は伊沢めぐむさんの蘭軒略伝乃至歴世略伝に拠るとする。これは已むことを得ない。和田さんと同じ源を酌まなくてはならない。しかし其材料の扱方に於て、素人歴史家たるわたくしは我儘勝手な道を行くことゝする。路に迷つても好い。若し進退きはまつたら、わたくしはそこに筆を棄てよう。所謂いはゆる行当ばつたりである。これを無態度の態度と謂ふ。

 

こんな感じで人から人へ、時にはアポなしで人の家に行ったりする。(明治・大正あるあるかも?)行動力のあるインテリって感じだよ。あと鷗外が「行き当たりばったりで~す」って言ってるのなんか面白いね。

さっきも書いたけど、

鷗外の調査パート→蘭軒やその周りの人たちの生活のパート→それに対する鷗外のコラムっぽいいパート

というリズムでずーーっと書かれているよ。読んでいると難しいなと思うけど、小説を書くのも大変なのに、資料集めも並行してやるパワーを感じるよ。

 

印象に残ったのは、上巻197ページ(ちくま文庫の全集)で

「蘭軒は医者だから自分の足の病気が分かってて、起行(念仏を唱えること)ができないと分かっている。その胸中を考えると、真にあわれむべきだよなあ」

と言っているところ。実は鷗外も持病があったかもという説があるので、ちょっと悲しい「医者あるある」を書いているシーンかもしれない。こんな風に、他の小説では分からない鷗外の普段考えてることが分かるシーンだよ。他にもちょろっと本音を言うところがあるよ。

 

このように、蘭軒に興味があるひとは少ないかもしれないけど、蘭軒の生活を通してちょっとだけ鷗外のことものぞける小説なのです。私はまだ読み込んでないから、きっともっと面白いシーンがあるはず!と思って、また読みつもりだよ。(そうしないと研究ができないからね……)

 

話は変わるけどこの小説のついての本もいっぱいあって、石川淳の「森鷗外」では、結構評価されているよ。でも舞姫山椒大夫を「面白くないもん!」とキレているよ。めずらしいタイプだ……。

 

おわりに

はじめての書き込みなのでちょっと話が飛び飛びだけど、今回はここまで。読んでくれた人がいたらありがとう。同じ本読んでる人がいたら聞かせてほし~!でも鷗外のアンチコメはいらないよ(悲しくなっちゃうからね)

 

それじゃ、ありがとうございました(*^-^*)